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行動に移せないとき
- 時間がない、お金がない、実力がない、などのないものにフォーカスを当てているから
- 失敗するのが怖いから、行動に移せない
というのはよく聞く話です。
本当の行動できない理由は罪悪感から来ているものかもしれません。
では、罪悪感とは何でしょうか。
- 文字通りあなたが悪いことをしたから、未だに罪悪感がぬぐえない?
- 誰かがあなたのことを責めてなじった?
いえ、それとは違う場所にあなたの罪悪感は潜んでいる可能性が高いです。
罪悪感の正体
いつの間にかこのように考える癖がついてしまっていないでしょうか?
- 私さえ我慢すれば丸く収まる
- 自分の気持ちを主張してはいけない
- 他人に迷惑をかけてはいけない
- 気ままになってはいけない
これらが積み重なると、何をするのにも誰かの許可がほしくなります。
誰もが認めてくれて、すごいね、と言われて安心した状態でないと「それ」をできません。
もし人に迷惑をかけても何かをしたくなったときは大変です。
そうする理由を誰かを攻撃しながら、見つけて主張するかもしれません。
「こんなに悪い人がいて、これだけ迷惑を被っていて悲劇の真っ只中にいるから、それをするしかしょうがないの。認めて了承してください。」とばかりに。
ただ「やりたい」と言えばいいのに、自分がそれをする正当性を見つけて、周囲がそうだそうだ、と納得して御膳立てしてくれて初めて
「じゃあ、やってもいいかなぁ」とゆっくり立ち上がるから
なんだかいつも回り道で、許可を出せるまでに時間がかかって、その間はとても退屈で詰まらないのです。
カバートアグレッション
受動攻撃と訳されますが、悲劇的な振る舞いによって、罪悪感を抱かせることで相手をコントロールしようとすることを指します。
これは、拗ねたり泣いたり子供のように駄々をこねて最終的に自分の思い通りに相手を動かそうという幼児性の表出です。
そういった受動攻撃を受け続けてきた人は、気がついたら罪悪感を抱えて生きています。
その人を助けられない自分に罪悪感を抱いていたり、自分のせいで相手が不幸なんだとどこかで思い込んでいたりします。
その罪悪感は、するりと知らないうちに内側に入り込んでいるので、当人は気がつきません。
気がつくのは、モヤモヤ感や感情と行動がバラバラだと気がついたときで、それはさらに自分を責める材料にもなります。
そうして、あらゆることでいつも責められている気がするので、逆に誰かに褒められないといられず、やりたくないことをやってしまう。その代わり本当にやりたいことはやらず、そうして何がやりたいのか自分の気持ちがわからなくなっています。
もし誰か身近な人に、そのような特性をもつ人がいるのなら、受動攻撃の影響でしょう。
対処方法としての考え方は次の通りです。
「可愛そうだった人」というフレーズで、今ぱっと浮かんだ人は、本当は可哀想な人ではなく、可哀想な自分を自分でなんとかしようとせず、悲劇的に振る舞って自分以外の誰かに自分の問題を解決させようとしたずるい人なのです。
だから、そんな罪悪感は手放していいのです。
罪悪感を抱えて、それ以上、たくさんの荷物を抱えすぎることはないです。
そして、他人の荷物を抱えてあげようとしているのなら、それは優しさでもありますが、ずるさでもあるのです。
一見責任感があるようにみえて、自分の人生から逃げて他人のせいにしています。幼稚で依存的なのです。
大人なら、やりたいことに着手しましょう。
欲しいものに手を伸ばさずにぐずぐずして、私不幸なの、と受動攻撃をまた繰り返すのはやめましょう。
それは、世代から世代に受け継がれてきた無用の長物です。
言わなくてもわかってほしいではなく、ちゃんと上手に言葉に表しましょう。そして、すっと手を伸ばしてさっさと幸せになりましょう。
我慢することや不幸を代償に、認められても幸せにはなれません。